おせん女おどりの解説
三右エ門という人が、志太郡大井川町から初倉の旧初に婿養子に来て
初倉の地に、この、おせん女踊りと歌を伝えたと言われています。
当初は、『お節踊り』と言われていました。
時代は文化の頃(1804〜1818か宝歴の頃(1751〜1764)か定かではない…
近年では、日露戦争の直前(明治35.6年の頃)踊りが披露された様です。
現在では、これを復活させて10月の天王神社秋祭りで奉納している。
曲は、『道行き』という笛と太鼓で演奏されるものと、五番の歌詞からなる歌がある。
踊りは元来、女装した男性が踊るものであった様です。
服装は、振袖姿に、ゆき流しを被る。歌い手、笛吹き、太鼓打ちの
服装は角帯姿で鳥追い笠を被る。
おせん女踊りの歌
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初倉のサーハーエ オーヤハレー
橋のふもとで おせん女(じょ)が茶を煮る
サア ハー ヨホーホーホ ヤハレナ ソコダイ
A
橋のふもとで おせん女(じょ)が茶を煮りゃ
芝茶も 濃く出る
サア ハー ヨホーホーホ ヤハレナ ソコダイ
B
そのまた娘が 月に九反の
お機を 織ります
サア ハー ヨホーホーホ ヤハレナ ソコダイ
C
袖の模様が 梅の大木
三月 小桜で
サア ハー ヨホーホーホ ヤハレナ ソコダイ
D
袖の模様が 瀬田の唐橋
唐かね ぎぼしで
サア ハー ヨホーホーホ ヤハレナ ソコダイ
実際はB番までの披露です。